2012年3月24日土曜日

IPv6は普及しない

主に技術者や研究者、それから組織のネットワーク管理者や一部の経営者に誤った考えが広まっているので、念のために確認しておく。

あきみち氏のブログや記事で繰り返されていることでもあるのだけれど(例えばこれ)、IPv4とIPv6は全く違う設計のネットワーク。同じなのはパケット通信であることと階層的なデザインになっていることぐらいで、それならIPを使わない他のパケット通信方式も同じことになる。

よく「IPv6への移行」とかいわれるのだけれど、そうするとなんだかお引越しのようなニュアンスがあって、かなりの嘘が入ってると考えられる。なにかこう、IPv4ネットワークを使いながら、IPv6の通信が使えて、知らない間にIPv6になっているようなイメージ作りの意図を感じる。まるで新製品への買い替えを促しているようで、そうなると技術用語ではなくビジネス用語なのではないか。

IPv4は、「いまあるネットワーク」。一方、IPv6は、「動いているが限られた人が使っているネットワーク」。そして、いまどきの「インターネット」という商品を買っている人にとって、IPv6は全くメリットがないことを強調しておきたい。例えば、GoogleはIPv6ネットワークにも存在しているけれど、GoogleのサーバにないもののほとんどはIPv4ネットワークに存在している。したがって、IPv4ネットワークにしかないリソースへのアクセスは、IPv6ネットワークではできない。多くの人がAmazonとかiTunesとかFacebookとかに接続するだけなら、それらがIPv6ネットワークにサービス提供すればそれでいいのだけれども、それだけのことだ。しかし、IPv6でなければならない理由にはならない。実際、自宅や職場や無線通信でネットを利用している人は、「そこに到達すればよい」のであって、どんな通信手段を使っているかには注意を払っていないはずだからだ。

IPv4のアドレス枯渇がIPv6の設計動機であったことは歴史的に間違いない。だけれども、その時代の「インターネット」といまのネットは世界が全く違う。当時はこれほど、ネットに接続する人々が、プラットフォーム提供者のビジネスを、接続する人々が(広告など間接的にであれ)「購入する」という分断された関係ではなかった。

スティーブン・レヴィの著書「ハッカーズ」(工学社から翻訳が出ている)は、PCやネット黎明期の息吹を現在に伝える貴重な資料だが、PCもインターネットも、もともとアナーキーな若者たちによって理想と考えられ、取り組まれてきた結果普及してきたものだ。そのひとりで、誰もが知っている人物がスティーブ・ジョブズ。彼も60年代のカウンターカルチャーにどっぷりと浸かった時代の若者だった。ドラッグ使用の過去があるのは当然だ。インターネットは、60年代頃に、マサチューセッツ工科大学(MIT)の「テック鉄道模型クラブ」の連中が、巨大な鉄道模型システムを制御するために使っていた電話会社の中古のリレーの組み合わせに頭をひねっているときに、当時アメリカ唯一の電話会社AT&Tの技術者に食い込んで、電話システムのしくみに興味をもち、巨大システムの硬直性と脆弱性に気づき、無料で世界のどこにでも(海外の政府機関でさえも)キャンパス内の公衆電話から通話できる、その手口を明らかにすることに熱中したことと、他の一部のメンバーがMITの計算機センターに常駐するIBMの管理者に自由な利用を制限されることに嫌気をさして、AIラボに納品された、当時としてはとても小さな(といっても広い実験室でなければ設置できない)コンピュータの利用許可を、「夜中に利用者がいない時間に限る」という限定付きで得て、誰もいないことをいいことにハードウェアをいじりまわして機能(演算命令)を追加したり、ついに電話回線につないでしまったことからはじまっている。その時点で、「自分がやりたいことを実現するための、自分のためのコンピュータ」「作成したソフトウェアの共有と改良」「コンピュータを電話回線を通して通信する」という考え方が生まれたとされている。それに、西海岸で起こった、マイクロプロセッサの発明が加わって、PCの実現、フリーソフトゥエア、コンピュータネットワークが「草の根の運動」として発展していくことになる。ここでは、PCやネットワークの利用者は、皆が平等で、また限られた資源を共有することの暗黙のルールがあった。いまの、サービス提供者と利用者が分断された状況とは全く違う。

長くなってきたので、残りははしょる。

IPv4ネットワークは、もはやビジネスや政治の道具だ。中東の独裁政権打倒運動も、バラク・オバマ大統領誕生も、国際テロ組織による秘密のネットワークも、どれもIPv4ネットワークの上にある。

一方で、IPv6ネットワークは、かつての「ハッカーたち」の理念を引き継いだ、「相手の顔が互いに見える」ネットワークの理想を胚胎したまま、実験的に構築されているネットワークだ。もし、IPv6ネットワークをいまのまま発展させるならば、ビジネスや政治とは無関係な、草の根の人々の道具として維持していかなければならないことになる。ここでは、IPv6ネットワーク利用者は、サービスを金で買ってあとはしらんとか、自分の満足のため他の利用者の利害に影響を与えてもかまわない振る舞いをするといったことはできない。

いま、IPv4ネットワークの上での活動に自分が満足しているならば、IPv6を使う必要はないし、IPv4ネットワークの実情がIPv6ネットワークにそのまま持ち込まれることは、いまIPv6ネットワークにいる人々は望まないだろう。

IPv6ネットワークが一般化しないと主張する最大の理由は、「IPv4アドレス枯渇問題は、未だアドホックな対応で対処可能」という理由による。具体的には、Large Scale NATの導入で、いままで大量のグローバルIPアドレスを必要としていた通信事業者が、顧客の増大に対してIPアドレスを確保する必要がなくなる、ということに尽きる。そもそも家庭へのネット接続にはprivate IPアドレスしか原則として与えられないし、それをさらに家庭用IPルータで別のprivate IPアドレスに変換して使っているのが実情だ。企業においても、クラウド利用によって、外向きのIPアドレスはそんなにたくさん持たなくても十分な計算資源を持つことができるようになっている。多重NATの問題などは、ほとんどの利用者は気にしていないだろうから、本当にISPや国レベルでのprivate IPアドレスの利用がなされたとしても、大きな混乱はないだろうと考えられる。個別の問題に対しては、随時アドホックな対応で解決が図られていくだろう。

だから、(実はこれがいちばん言いたいことなのだが)「IPv4とIPv6のデュアルスタックでのシステム構築」とか「IPv4とIPv6のゲートウェイについての配慮」とか、いろんな案件が業者や知ったかぶりの利用者から寄せられると思うけれども、そんなのは金と労力のムダなので相手にしてはいけない。

IPv6ネットワークは、可能であれば予備の回線で独立に、そうでなければIPv6パススルーするスイッチやルータの設置にとどめ、あくまで別のネットワークとして構築するとともに、ネットワーク設置する立場にある人は、「IPv6をみんなに使わせなければ」などといった使命感は持たないことだ。導入する以上、コスト負担の問題が発生するから平等に行き渡らせることで受益者コスト負担を避けようというのは健全な思考だろうけれども、労多くして功少なしの結果が強く予想されるので、「やりたい人にやらせる」「コストは受益者負担で」というのが現実的ではないか。

いずれにせよ、「いまのIPv4ネットワークは延命される」という予想と「IPv6は別物」という事実によって、IPv6は絶対に普及しない、というのが僕の主張。